
焙煎ユウタロウ
焙煎ユウタロウ — 30代後半ゲイ、医療職 日常や気持ちを書いてます 仕事・恋愛・健康、 日々の中で考えたことを、そのまま言葉にしています。 たまに長めのエッセイも更新します。
最新の記事
- 「好き」から逃げてしまう。
好意を向けられるのは、嬉しい。自分のことを知ろうとしてくれたり、また会いたいと言ってくれたりすると、誰だって嬉しい。なのに、相手から「好き」と言われると、僕は逃げたくなることがある。自分勝手だなと思う。好きになってほしいと思っているくせに、好きになられると困ってしまう。でも、僕は好意から逃げたいわけではないのかもしれない。自分の気持ちがまだそこまで追いついてないときに、相手の「好き」が先に見えてしまうのが苦手なのだと思う。少し前に、何度か会っていた人がいた。ご飯を食べに行ったり、銭湯に行ったり、泊まりに行ったり。一緒にいて楽しかった。可愛いと思っていたし、性的にも惹かれていたもっとこの人のことを知りたいと思っていた。知っていくうちに、好きになるかもしれない。そんな感じだった。ただ、その頃の僕は、別れたばかりだった。だからなのかもしれない。まだ「好き」と呼ぶには、少し早かった。ある日、その人の家に泊まった。朝になって、一緒に駅まで歩いていた。駅に着いたところで、「あ、言い忘れたことがあるんだけど、言ってもいい?」と言われた。そして、「あの、好きです」と言われた。その場で僕が言えたのは、「ありがとう」だけだった。「俺もだよ」と言うことはできた。でも、それは嘘になる。好きじゃなかったわけじゃない。むしろ、好意はあった。もっと知りたかったし、また会いたかった。これから好きになる可能性だってあったと思う。だからこそ、どう返せばいいのか分からなかった。「僕も好き」と言うほどではない。でも、「好きじゃない」と言ってしまうのも違う。好意があることは伝えたほうがいいのかな。どうしよう。そんなことを考えているうちに、言葉が出てこなくなった。たぶん僕は、好きになるまでの時間が必要なんだと思う。少しずつ会って。話して。くだらないことで笑って。この人ってこんなところがあるんだ、と思って。そういうものが積み重なって、いつの間にか好きになっている。その途中の時間が、僕には大事なのだと思う。だから、相手から「好き」と言われると、その時間が急に終わってしまうような感じがする。あ、この人は僕のことを好きなんだ。そう分かった瞬間から、相手を見る目が少し変わってしまう。今までなら、「また会いたいな」くらいだったのに、「この人は僕のことを好きだから、また会いたいって言われたら応えなきゃいけないのかな」と思ってしまう。相手が何かを求めているわけじゃないのに、勝手に僕がそう思ってしまうだけだ。でも、その瞬間から、ただ一緒に楽しく過ごしていた関係に、少しだけ責任が生まれる。僕が一番怖いのは、相手の期待に応えられないことなのかもしれない。せっかく好きになってくれたのに、自分は同じように好きになれなかったらどうしよう。期待させてしまったらどうしよう。傷つけてしまったらどうしよう。そう考えると、まだ何も始まっていないのに、終わらせたくなってしまう。
2026/09/20 - ブスが筋トレすると、逆に彼氏ができなくなる説
ゲイの世界には、昔からひとつの信仰がある。「身体を鍛えれば、モテる。」これはまあ、間違ってはいない。細かった身体が少しずつ大きくなって、胸板が厚くなり、肩が広くなり、腕が太くなる。鏡を見る。「……あれ? 俺、ちょっといい身体じゃね?」そう思って、筋トレを続ける。気づけば、以前とは比べものにならないくらい身体は立派になっている。ところが、なぜか彼氏ができない。これは一体どういうことなのか。今日はこの、ゲイ界隈における非常にデリケートな問題について考えてみたい。
2026/08/31 - アイドルのセンターになりたかった人生
アイドルのセンターになりたい人生だった。もちろん、本物のアイドルになりたかったわけじゃない。学生の頃、AKBを見て、「センター」という存在を知ったとき、なんだか妙に憧れた。誰かに選ばれる人。「あの人といえばこれ」と言われる人。何か一つでいいから、自分の名前と一緒に思い浮かぶものがある人。たぶん、自分が欲しかったのは人気でも有名になることでもない。「これだけは自分が一番だ」と思える誇りだった。自分の人生を振り返ると、悪い人生ではない。小学校の頃は勉強もそこそこできたし、人を笑わせるのも好きだった。クラスの中心人物ではなかったけど、「あいつと話すと面白いよね」くらいのポジションではいたと思う。だから学生時代が暗かったわけでもない。でも、大人になった今、振り返ると少し寂しくなる。「これが自分です」と胸を張って言えるものがない。部活で何かを成し遂げたわけでもない。夢中になって何年も続けたものも、あまり思い浮かばない。誇れるものがない。それが、自分の中ではずっと引っかかっていた。子どもの頃、『ガンバ! Fly high』という体操漫画が大好きだった。本気で体操をやってみたいと思っていた。でも親には一度も言わなかった。田舎だったから近くに教室もない。親も勉強を大事にしていたし、「たぶん無理だろうな」と子どもながらに思っていた。結局、一歩も踏み出さなかった。あの頃から、自分は「やりたい」を心の中で終わらせるのが上手だったのかもしれない。最近、YouTubeで活動している人を見ることがある。登録者数や再生回数はすごいのはもちろんだけど、それ以上にすごいと思うのは、一つのことを何年も続けてきたことだ。友達を見ていてもそう。何か一つを積み重ねてきた人には、不思議な自信がある。あれが少し羨ましい。僕自身、apexというゲームは長く続いている。一緒に遊んでくれる友達がいたから、ここまで続いた。筋トレもなんだかんだ続いている。思うように体は変わらないし、モチベーションが落ちる日だって普通にある。それでもジムに行ってしまう。昨日より少しだけ重量が伸びたり、鏡を見てほんの少し体が変わった気がすると、それだけで嬉しい。昔の自分なら、「一番になりたい」と思っていた。今も、その気持ちがなくなったわけじゃない。でも最近は、一番よりも「続けた時間」のほうが、自分を裏切らない気がしている。続けた時間は、自信になる。自信は、少しずつ誇りに変わる。一日では何も変わらない。でも一年後に振り返ると、「あの頃より少し変われたな」と思える。その積み重ねなのかもしれない。焙煎した豆も、一瞬では変わらない。少しずつ火が入り、色が変わり、香りが変わる。人もきっと同じなんだと思う。まだ胸を張って、「これが自分です」と言えるものはない。でも、筋トレでも、このnoteでも、仕事でもいい。何か一つを続けていたい。10年後、「これだけは続けてきた」と笑って言えたら。そのとき初めて、自分は人生のセンターに立てたと思える気がする。
2026/07/20


